
8.埋もれたる歌に寄す
−復活第7回明徳寮歌 白雲しのぐ蘭岳の−
白雲しのぐ蘭岳の 麓の緑陽に映えて
友よぶ鳥の声々か 若人集う明徳の
寮歌の声の山彦か 樹の間の調べさやかなり
昭和28年、戦後の復活第7回寮祭の記念歌として、私が作詞したものを前述の「北洋さむく」の作者堀内教授が作曲して選ばれた寮歌である。
当時、明徳寮幹事長をしていた私はこの寮祭に是非記念歌を残そうと、全学に呼び掛けたが結果は数編の低調な応募に止まりがっかりした記憶がある。
そして、結局は「白雲しのぐ」が入選したと言うか、これしか無かったのが実情であった。
その後選考委員の一人であった文科教室の鷲山第三郎教授の添削があって、私の原詞はたおやかに変貌していった。 淡々と進められた堀内先生の作曲は、「北洋さむく」のそれよりも柔らかく素晴らしいものになっていった。
しかし歌詞のせいもあって、凡そ寮歌のイメージよりも合唱編曲をすれば音楽コンクールの課題曲?と言う感じの良い歌になったと思っている。
白髪の痩身をすっくと伸ばし、構内を行く鷲山先生の姿はこれぞ大学教授の感があった。 ダンテの「神曲」の講義などでは宗教的・文学的な思想の深淵を詠うようにして覗かせてくれたものである。
また不慮の火災で失われた工大の図書復興に際して、先生が果たした役割は大きなものがあった。 特に婦人協力会に支えられて燎原の火の如く全市に広まった先生のシェイクスピア講義は、「乳房なき幼児に」と題する文化講演として共感を呼び当時で55万円にも上る募金が寄せられたのであった。
今も母校図書館の一隅に、この時の婦人会による贈書が見られる筈である。
「白雲しのぐ」は、結局当時の合唱部により披露されたのみで、埋もれた歌の一つに成ってしまった。 しかし私にとっては我が青春を呼ぶ歌であり、今も口ずさむ度に、明徳寮の日々が、水元の丘を渡る風が、頬を撫でる。
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