氏    名  佐々木 夕 介 (ささき ゆうすけ)

学位論文題目  建築の創作における与条件と身体空間

論文内容の要旨

  本論文は,建築の創作において重要な検討領域である「与条件」と「身体」について,それらに対する建築家の空間的思考の一端を,建築家の言説の分析によって明らかにするひとつの試みである。
  一般に建築の創作において,住み手の生活像や建築法規,敷地環境,伝統様式などの,設計に関わる事柄は,建築の「与条件」として認識される。建築家は,多くの水準の異なる与条件を建築の問題に置き換えること,つまり,与条件と建築の操作手法とを関連づけることで,それらを整理し,実体としての建築を構想する。与条件を建築との連続の上に捉える建築家の思考には,人間の生活や外部の環境などに対する空間的な認識が現れている。
  一方で,建築の創作における基本的条件のひとつである人間の「身体」は,寸法などの物理的な把握にとどまらず,空間を感覚する,あるいは移動するという,空間における経験の主体として捉えられている。つまり,建築家は建築の空間を人間の身体とともにイメージすることで,人間がその空間をどう感じ,どう動くかについて検討しており,建築家の言説には,そうした身体的な水準での空間思考が現れている。
  このような視点から本研究は,建築意匠分野における重要な検討領域として,「与条件」と「身体」という異なる側面から,創作における建築家の言説を分析することで,建築家の空間的な思考の一端を明らかにするものである。
  研究資料としては,1970年から1999年に『新建築』『新建築 住宅特集』に掲載された住宅作品の作品解説を分析している。
  本論文の概要は,第1章を序論とし,第2章で与条件と建築の関係を,第3章で身体と建築の関係を分析し,第4章を結論としている。
  第2章では,言説にみられる与条件と建築との関係を<関係イメージ>と定義し,与条件の内容を【人間】【建築】【環境】という大枠で,さらに<関係イメージ>を,関係のあり方を示す〔関係形式〕と関係の認識の違いを示す〔媒介性〕でそれぞれ捉え,対応関係や通時的傾向を明らかにする。第3章では,身体によって経験される建築空間に関する言説を<身体空間>と定義し,それらを,身体の空間への関与の違いにより【知覚】【運動】という大枠で,さらに具体的な経験の違いから[状態][スケール][延長][場][展開]としてまとめ,通時的傾向などを明らかにする。最後に第4章で,第2章と第3章の分析結果を比較検討し,建築の創作における<関係イメージ>と<身体空間>の年代毎の特徴を併せて考察している。

論文審査結果の要旨

  建築(architecture)と建物(building)を峻別するのは,極論すれば,それが人間の空間的な思索と不可分であるか否か,ということである。建築家は,意識的であるかどうかにかかわらず,建築の創作において,常に概念的に空間を思考・イメージすることで,建築を実体化していくといえる。また一般に我々にとっても,建築空間を実体験することは,建築家の空間的な思索に触れることでもあり,それは建築が個人的な問題を超えて,広く一般に社会性を獲得していく端緒でもあるということができるだろう。これらのことからも,建築家によって思考された概念的な空間を検証することの有効性が窺われる。
  本論文は,建築の創作において建築家によって思考された概念的な空間を,建築に関わる様々な与条件と身体というふたつの側面から,建築家の言説をもとに相対的に明らかにしている。建築の創作は,他の芸術行為とは異なり,敷地・気候風土・法規・施主の要望などの幾多の条件を前提としてはじめて成立するものであり,また同時に,人間の身体との関わりを無視しては構想し得ないものである。つまり,建築家は常に,様々な与条件と自らの身体的経験とを手がかりとしながら空間を概念的に構想するものであるという視点自体を,本論では提案しているともいえる。ここで,建築家によって構想された概念的空間を明らかにするために,建築家の言説を分析対象とするのは,特に創作の中で言説が重要な位置づけとなっている日本の建築界においては,有効な方法であろう。
  論文の骨格は,与条件と建築との関係である<関係イメージ>,および身体的に構想された<身体空間>を各々分析したうえで,<関係イメージ>と<身体空間>との相互関係を考察している。特に第2章の<関係イメージ>の分析においては,それ自体は単なる事象にすぎない与条件を,建築家がどのような“空間”として関係づけて創作に取り込んでいるかを明らかにしており,建築の創作における概念的空間を捉えるうえでの重要な視座を提示しているといえる。<関係イメージ>と<身体空間>とをそれぞれ緻密に読み込むことから得られた空間の類型のみならず,抽象から具体へ,また連続的な関係へと大きく移行しつつある,現代建築家の空間認識の時代的傾向に関する考察も興味深いものである。
  本論文の分析は,建築設計へと直接応用できる方法論を得ることを目的としたものではないが,建築家が自らの創作を俯瞰的に捉え,相対的に位置付けて検証するための“地図”のような役割を担うといえるであろう。
  以上のことから,本論文は,建築家によって思考された概念的空間を,与条件と身体というふたつの側面から,通時的傾向も含めて相対的に明らかにしており,それは建築の創作に関わる普遍的問題にひとつの視点を提示したという点においても高く評価することができる。よって本論文は,博士(工学)の学位論文に値するものとして認められる。