氏    名  佐々木 直 彦 (ささき なおひこ)

学位論文題目  
伝統的鍛錬工程における日本刀素材の炭素量変化とそのメカニズム


論文内容の要旨  

  日本刀は,日本を代表する伝統工芸品であると同時に,武器として鋭い切れ味を保持するための硬さと,容易に折損しないための靭性を兼ね備えており,スーパーマテリアルと言うことが出来る。日本刀の優れた強靭性を明らかにするため,これまで多くの研究がなされてきた。それらの結果から,日本刀の優れた強靭性は,2つの固有技術,高炭素量および低炭素量の素材を組み合わせる外剛内柔の複合構造化,および刀身に塗布する粘土厚さによって刃先側だけ硬化させる組織制御熱処理によって獲得されることが示された。また,日本刀強靭化の前提条件となる素材の炭素量は,古今を問わず,高炭素素材は約0.6 mass%,低炭素素材は約0.3 mass%になっていることも明らかにしている。また,これらの炭素量は,伝統的鍛錬工程で調整されていることを示す報告もなされている。しかし,日本刀素材の炭素量がどのような仕組みで調整されていくのか,これまで調査はなされてこなかった。
  そこで本研究は,伝統的鍛練工程が日本刀素材の炭素量に及ぼす影響を理解することを目的として遂行され,以下の結論を得た。
(1)日本刀刃金素材の適正な炭素量は,800HVの高い焼き入れ硬さを保持する炭素量範囲の中で,靭性の最も高い,つまり炭素量が最も低くなる約0.6 mass%である。
(2)鍛練工程で炭素量が減少する原因は,加熱中に脱炭した表面が,加工によって鍛接され,内部に取り込まれるためである。伝統的鍛錬工程は,この脱炭現象を利用して素材の炭素量を制御する製鋼工程であることが理解された。
(3)鍛錬工程における脱炭層深さの変化は,素材の代表長さの変化に伴う素材温度保持時間の変化,および,素材母相炭素濃度の変化に伴う拡散係数の変化から解析計算される。そして,それらの緻密な解析解は,実際の脱炭層深さをよく再現し,併せて炭素量減少の詳細なメカニズムも明らかにすることができた。よって,鍛錬工程における素材の平均炭素量変化を,予測計算することが可能になった。
(4)伝統的鍛錬工程における日本刀素材の炭素量変化をシミュレーションすると,0.2〜1.5 mass%Cの原料から,最終的に,高炭素素材は最適な0.6 mass%C前後に,および,低炭素素材は0.3 mass%C以下にそれぞれ調整されていくことが示された。これらは,経験則から導かれた伝統技術の金属学的合理性を示すものである。

論文審査結果の要旨

日本刀は,鋭い切れ味を保持するための硬さと,容易に折損しないための靭性を兼ね備える「スーパーマテリアル」である。その製作工程および技術は,経験則によって約千年前には確立しており,その後ほとんど変化せずに今日まで伝承されてきている。日本刀およびその伝統的製作プロセスを科学的に理解することは,大きな意義があると同時に学術的にも興味深いものである。日本刀の優れた強靭性を明らかにするため,これまで多くの研究がなされており,それらの結果は,日本刀の優れた強靭性が,高炭素素材に低炭素素材を差し込むように組み合わせる外剛内柔の複合構造化,および刀身に塗布する粘土厚さを変えて刃先側だけ硬化させる組織制御熱処理といった2つの固有技術によって獲得されることを示すものであった。また,機械的性質を左右する素材の炭素量は,古今を問わず,刃金素材(高炭素素材)は約0.6 mass%,心金素材(低炭素素材)は0.3 mass%以下になっていることも明らかにされている。しかし,日本刀の機械的性質に及ぼすこれら素材炭素量の材料学的な意義,および素材の炭素量がどのような仕組みで調整されていくのかという点に関して,これまで研究はなされてこなかった。
  そこで本研究は,伝統的鍛錬工程が,日本刀の強靭化に深く関与する炭素量に及ぼす効果を明らかにすることを目的として遂行され,以下の結論を得た。
(1)日本刀刃金素材(高炭素素材)の適正な炭素量は,800HVの高い焼き入れ硬さを保持する炭素量範囲で,最も高い靭性が期待される約0.6 mass%である。一方,高炭素素材の脆性を補うために,高い靭性が要求される日本刀心金素材(低炭素素材)の適正な炭素量は0.3 mass%以下であることを明らかにした。
(2)鍛練加工中の酸化および鍛錬加熱中の拡散によって脱炭された表面同士を,鍛錬接合することが,日本刀素材の炭素量を減少させる原因であり,そのメカニズムや性質を鍛接面脱炭層深さの解析等から明らかにした。
(3)伝統的鍛錬工程における炭素量変化シミュレーションは,最終的に,刃金素材(高炭素素材)が0.6 mass%C前後に,心金素材(低炭素素材)が0.3 mass%C以下に,それぞれ調整されることを示し,経験則の冶金学的な合理性を証明するものとなった。
  総括すると,「日本刀の伝統的鍛錬工程は,脱炭プロセスを工学的に応用し,各素材の炭素量を,要求される機械的性質に応える最適量に調整する製鋼工程である」と結論づけられる。
  本論文の内容は、作刀プロセスが材料科学的に合理的な根拠を有することが明示されており,論文提出者が刀匠であることに加え,材料工学全般を俯瞰する知識と解析力を兼ね備えている独創的成果といえる。よって審査委員4名は,本論文が博士(工学)に相応しいものと認める。